出題編(ネタバレ無し)
解答編(ネタバレ有り)
概要
私は怒っている。これは『火花』本編の問題ではなく。映画を見た経緯の問題である.
『火花』を見たきっかけーmakosuとは誰か?
私が『火花』を見たきっかけはそれを観たmakosuという人の反応が凄まじかったからである.makosuはゆく先々で揉め事を起こすタイプの動画配信者である.私は彼がカルドセプトというゲームの有名プレイヤーを引退に追い込んだことを今でも根に持っている.
いつか彼に巨大な敗北感を味合わせてやりたいと思っているが, 特に何もできたわけでもなく, アメーバピグで某ネット大喜利プレイヤーを晒上げにする, ゲーム系youtuberの親族に作品を売りつける などの事件をただ見ることしかできなかった. 大喜利プラスの出来事もまだ収束したとは言えない状況だろう.彼はいつでも慈悲を見せずにただただ彼の中の理屈; プログラムに従って行動していたように見えた.
そんなキラーマシーンのような人間が映画を絶賛したのである.
何か形容できない違和感を覚えて, それが何かを探りたい.
実はそんなことが目的で私は『火花』を観に映画館に行っていた.
makosuは神谷なのか?
本編を観てすぐ,彼がなぜ『火花』を気に入ったか分かった.神谷のお笑いに対する真摯でまっすぐな姿勢は,makosuが普段配信で語ってきたことと全く同じだった.神谷のネタは営業先のおじさんに受け入れなかったが,makosuの行動も行く先々で拒絶されている. makosuは間違いなく『火花』に慰められていた.
映画のストーリーが自分自身と重なると嬉しいのはわかる,だが,だとするとmakosuには大きな見落としがある.映画の転換点として一番大きかったのは神谷が徳永そっくりの髪形にしていたことだろう.芸人としての理想像のシンボルである神谷でも他人をパクってしまう, そのような現実は芸人物語『火花』の最も味が濃厚な部分だ.
しかし,神谷に共感してしまった人に対してはまた別の意味があるのではないだろうか.『火花』という権威が自分と同じ髪形だったら何なのか,神谷=自分という仮定があるのなら,あの髪形のシーンにあてはめたらどうなってしまうのか.
たまたま鹿谷が自分そっくりの髪形になっているのを見た神谷が大喜びで徳永に自慢したとしたら徳永は精神崩壊してしまうだろう.
私は徳永なのか?
さっきから無意識のうちに徳永=私となっているのが不愉快で仕方がない.物語の登場人物の関係上しかたなく徳永のポストについているが, 徳永と私には決定的な違いがある.私は恨みで動いている.考えてみれば神谷は漫才という場に自分自身をぶつけられているからまだ成功している.きっと傷つく人自体は少ないのだろう. 一方makosuはその情熱を今までたくさんの"犠牲者"に突き付けてきた.人の気持ちに共感できる,それが分かっただけでも良かったと思うが, その上での今までのあの行動と思うと尚更気味が悪い思いだ.
公園でパーカッションの練習をしている人をそのまま炎で燃やし尽くす. そんな奴らが『火花』で自分は正しいのだと思って映画館を後にする.
そんな一面が『火花』には間違いなくあるんだろうと思う.
総論
一本の映画の内容を何時間もかけて考えるのは確かに面白かった.ただし、神谷に感情移入したという理由で『火花』を他人に勧めてはならない.
ちなみに先日makosuは彼の生放送のリスナーともう一回『火花』を見に行ったらしい.
いい加減にしろよmakosu.